FC2ブログ

”フランス・イタリア”リピーターの方へ情報を発信するブログ。

30年前の初フランスの旅

Bonjour

先日、小諸で旅館を経営していた知り合いのマダムに会いに行ってきました 30年前 初めてフランス へ行ったときに飛行機 でとなりになった有子さんというマダム。マダムはパリにいる娘さん一家のところへ 私は観光で1990年11月のフランス旅でした。隣に座っただけで どうしてこんなにつながったのか 今思い出そうとしても思い出せないけれど 帰国後数年 やりとりがありました、、、フランスへの留学の時もよくしていただき フランス留学後も小諸をおとずれ 長野観光をさせてもらったり。しかし 数年前から連絡がとれなくなり、そのままになっていたけれど、今年はちょうど 会ってから30年になるし どうしても会いたいと思いたって、電話番号を探して電話してみました。その電話番号は運よく生きていて 繋がることができました
聞けば マダムは数年前心臓の手術をし、(今、ペースメーカーが入っている) そして 長年経営していた旅館をたたみ、いまはアパート経営を息子さんがしているということだった。マダムにもいろいろ大変なことがあり、変化があり、 それで連絡が途絶えたことがわかりちょっと安心しました。そして 今回会ってから30年だから是非会いたいとつげて、、会うことができましたマダムはもう79歳になってました。ペースメーカーが入っているとは思えないほどお元気でとても嬉しく思いました
感染症の治療薬がまだできない今、会っておきたいと思っている人がいたら 後悔しないようにと思って会いに行ってよかったです。フランスの母が逝ったことがもしかしたらそうさせたのかもしれません。
 小諸は軽井沢から車で約30分のところですけど 軽井沢とは全然違う日本らしい街で、以前訪れたときにはなかった駅前のガーデンもとても素晴らしく(停車場ガーデン)、ちょっとあるけば昔の佇まいが残るいい街です。旧北国街道が街中を走っていて、ちょっと走ればブドウ畑やリンゴ畑が広がり、浅間山のふもとにはこだわりのパン屋さんやチーズやさん 結構 フランスっぽい 実は小諸の気候は南フランスのリュベロン地方によく似ていると言われているんです。ピーターメイルの書いた世界が日本では小諸なのかもしれません
フランスっぽいというのは 洋館建てがあるからとか 教会があるからとか そういうことじゃないんです。 フランスの気候がフランスの食をつくるように 小諸の自然 気候が美味しい蕎麦をつくり 麦をつくり お酒をつくる そういう深い部分が似ていると言う意味です。

フランスになかなかいけない今 今年の夏は小諸へファーブルの庭展も小諸高原美術館で行われますから 何度でも足を運ぼうと思います 7/23-8/23まで ファーブルの庭展(タイトルは暫定)
そして 美味しい蕎麦に舌鼓をうち 美味しいワインを試飲したり チーズとパンを食べ歩き そして フランスにはない 温泉でゆったりと過ごす なんていう夏休みを過ごすのもいいですね。 なんといっても都内から小諸まで高速バスもあり、、、1泊2日でも充分楽しめます日程にゆとりがあれば 小諸を拠点に軽井沢へいくにも良し!温泉もよりどりみどりです。 ご興味あるかたは遠慮なくお問合せください。france@bonjour-mjp.com

Mille Joies Planning
Mieko SATO

餅ばあちゃん 桑田ミサオさん

Bonsoir

先日NHKのプロフェッショナルで素晴らしいおばあちがゃん(93)と出会いました NHKプラスでみられますから是非みてほしいと思います。とても93には見えない若々しさ(自転車スイスイのる映像から始まりました。そしてなんともいい笑顔)
このミサオばあちゃんのお餅食べたい! 今年の秋の旅行は 五所川原 かな・・・ 食べたいし 会いたい このおばあちゃんに。

このNHKのプロフェッショナルという番組をみて感動しない 尊敬しない人はだれもいないのですが、、、普通の北国のおばあちゃんのミサオさんをこのプロフェッショナルに取り上げてくれたこともすごいことだと思います。タイトルにあるように 餅をつくっているおばあちゃん。笹をとってきて綺麗に洗って 小豆を丁寧に炊いて その笹に包む御餅。ちょっと見た目は 麩まんじゅうのようにみえるけれど 中はあんこのお餅(すごーーく美味しそう) そして笹は 新潟の笹団子のような枯れた笹ではなく、麩まんじゅうのようなグリーンの綺麗な笹です。すべてに丁寧で、、、こういうものを食べていたら体にいいに違いない、、、ジャンクしかしらない子供たちもいるけれど、最近は手作りの心のこもったお金儲けのためにしているものじゃない本物に惹かれるのです。若いころは私も 雑誌で取り上げられている有名店を廻りました、美味しくないわけじゃないけれど、、、その有名なものには 背景にいろいろあることを、年を取るたびに経験を積むたびにわかってきて、、、儲けるのだ大前提なこと(悪いことだと言っているのではありません) 有名になったのは本当に美味しいかなのか宣伝効果なのかわからないこと(もちろん有名で美味しいものも沢山あります) そんなものを仕事柄 沢山みてくると、、、料理って食べ物って 究極は最後に作り手の人生が、エスプリがどうか ってことが大きい気がするのです
自分で笹を山に取りに行き 自分で小豆を作る。93歳 頭が下がりっぱなしです。丁寧な仕事 自分が納得する仕事 やっつけ仕事はけっしてやらないし そんな発想は彼女にはないです。

そのミサオおばあちゃんの一言一言が 胸に刺さります。
仕事 仕事さ教えてくれる (津軽弁だから 時々よく何を言っているかわからないところもありましたけど)
仕事を続けていると その仕事が教えてくれる という なんとも深い言葉。田舎の津軽のおばあちゃんの口からでる本当に素朴で難しい言葉ひとつも使ってないこの一行が どんなに深いかを感じます。
ミサオおばあちゃんが 儲からない(食べるだけは稼げるくらい) この餅を作っているのか、、、60歳の時 特別養護老人ホームにおばあちゃんが手土産に手作りのお母さんと作ったお餅をもって 訪問する。
そのお餅を食べた老人ホームの人が泣いてくれた それでお餅づくりをしようと決める。それから33年の長きお餅づくりがはじまりまるのです。60歳からです! 素晴らしいですね。 私も見習わないとって思いました

彼女は幼少期貧しくお母さまが一人でミサオさんを含め4人の子どもを育てたという、ミサオさんにはお針仕事やお料理を教えてくれたり 勉強はできなかったけど生きていける術を教わって お母さまのことが大好きだったと伝わります。

ミサオばあちゃんの名言
手間暇かけていかにそれを活かすか、、、すてるところはなにもない。
貧乏というのも悪くない ハハハ (智慧が沸く)
10本の指が黄金の山 (手をつかって 指を動かしてお餅を作って生活できる) 
仕事 仕事さ教えてくれる

本物はどんな田舎に居ても 必ず光るんですね。都会にでなきゃ 認められないとかうまくいかないとか、、、あまりにも薄っぺらい。場所じゃないんですね。 その人 人で決まるって 思います。あんな田舎のお餅作りのおばあちゃんがなんとも美しい笑顔で話すのをみると メッキはいつか時とともに剥がれ落ちるけれど 本物は時をかさねるごとに輝くのだと思い知らされました。
人生は あっというまだけれども 1日1日の積み重ねで最終章がいかに美しくなるかどうか、、、、あんなに素敵なおばあちゃんになれたらいいですね。 私のフランスの母も 先日逝きましたが、、、なんか 見かけもやってきたことも全然違うけど 通じる何かを感じます。 一つのことをひたすらやり続ける、、、

彼女の作品を頂きに 五所川原へ 行きたいものです 早くコロナの終結を祈ります。
ミサオおばあちゃんもどうぞお気をつけてお健やかにお暮しくださいと祈りつつ

Mille Joies Planning
Mieko SATO


コロナで考える働き方

Bonsoir

6月になり1週間が過ぎようとしています。2020年の前半 何をしたかあまり記憶にない、、、3月あたまから コロナコロナで、、、仕事はなくなり、外に出られなくなり 、髪も切りにいけないし、、、習い事 ももちろん行けない ず~~~と家で 外出といえば近所への買い物。時間あるから家庭菜園とか始めたり 庭の手入れをしたり 断捨離したり メルカリデビューしたり いろいろ初めては見たけれど なにかしたという充実感を得られない。。。

人間にとって 働くというのは ただお金を稼ぐ ってだけじゃないんですよね~~ ただお金稼ぐだけの人はコロナで仕事しなくてもお給料がもらえたら 大満足しているはず。 もちろん 生活があるから お金を稼がないといけないのは大前提。でも人間って やっぱり 働くことでいきがい とかないと  では悲しすぎます。

コロナのことがあって、、、この職種だと また感染症がくると危ないから職替えしなきゃと 考えている人も少なくないでしょう。確かに今回のことでいろんなことを考えることができた気がします。 今まで働き方改革とか ずっと言ってきましたけど、なかなか現実にはならなかったことが コロナのおかげで やらざるを得なくなりました
私は今回のことで どうしても もう都内にこだわることはない という結論に達しました。都内に行かないと仕事がないとか オフィスがないとダメだとか 面接は直接会ってとか 9時ー17で働くとか 今まで 当たり前と思ってた 思い込んでた事がすべてと言っていいほど 別に拘らなくてもできるってことがわかりましたよね。

そして 仕事で東京に通わなくていいなら 通える場所に住む必要もなくなるわけですね。今日も フランス語の学校の授業がオンラインで行われましたが、オンラインなら どこにいても受けられるわけで、、、ま コロナが終結したらオンライン授業はなくなるとは思いますが。 いろいろとコロナのおかげで 今の生活を見直すチャンスをもらったと思ってます

仕事のために住む場所を決めるのか  住む場所をきめてそこで仕事を探すのか 私たちの時代は前者が必須だったかもしれませんが、これからは好きな場所に住んでそこで仕事を見つけてもいいのかな と思ったりしています。
60歳までには 好きな場所で仕事をしていたいと思う今日この頃です。

Mille Joies Planning
Mieko SATO

フランスの母 逝く

Bonjour

昨夜 訃報のメールが届きました。こういう時がくることは覚悟をしていたはずですが、いざとなると辛く悲しいものです。日本時間の今日16時半が葬儀というので、遠く日本からお祈りしてまいります

私がいまこうしてフランスの仕事をしていられるのは この方との出会いが会ったからと言っても過言ではありません。私のフランス語の学校のときのホームステイ先のマダム Madame Lehner ( マダム レネー) フランスの母です。
この人のところにホームステイしていなければ こんなにフランスを好きにならなかったかもしれませんし、こんなにフランスに執着し、フランス語を学び続けることはなかったかもしれません。
マダムと出あって28年、初フランスから30年の節目にあたる本年、マダムが逝くことは私の人生にも意味があるのでは、と思ってます。数年前から フランスへのパッションが薄れ始め (老化現象か?と思ったり) その間 テロがあったり ジレジョンがあったり フランスの仕事が難しくなってきて 本年のコロナで完全にフランス行きが止まりました。そんな中での フランスの母の死。 飛んで行きたくても 今はフランスへも行けない。なんで今年なのか、、、なんで今なのか、、、悲しくて辛くて どうしたらいいのかわかりません。もう92歳でしたから 大往生なのはわかってます、最後まで一人で全部自分でやって、誰の世話にもならず、昨年までホームステイで学生を受け入れていた、天晴な亡くなり方だとも思います。でも いまじゃなくても なんて思っちゃうのです。

どこかでもうフランスに関わって拘っていきなくてもいいかな と思い始めたところがありました。しかし マダムの死によって やっぱり こだわり続けよう と腹が決まりました。こだわり方は時代にあわせざるをえませんが、でも 自分のなかでもういいかな って思うのはやめようと思いました。 Merci Madame そうしているかぎりマダムは私の中で生き続けてくれると信じます。

1928年1月18日生まれのマダム。フランスを離れても毎年お祝いを言い続けた28年。たった4か月のホームステイ。その後の28年がお互いの仲を深めていったのだと思います。ホームステイ先のマダムと学生 で終われなかったマダムの魅力は人間を愛し、食べることを愛す、言いたいことはその場ではっきり言い、豪快で、チャーミングなマダム。マダムとはホームステイ時代 よく夜中までいろんな話をし(当時はまだマダムの言っていることは半分くらいしか聞き取れなかったけれど、でもわかるのです) 泣いたり笑ったり、よく二人でしました。(実母とはしたことがないのに) 愛犬の散歩やシャンプーも一緒にして マダムと愛犬グースと歩く アリエ川の風景は忘れられません。お料理もよく手伝ったり、とにかくいちスタジエじゃない娘のような生活をさせてくれました。学校で勉強してこととホームステイの生活で覚えたことと両方が私のフランス語を上達させてくれたと思います。

私がマダムに 「どうしてマダムは3人も子どもがいるのに女の子しか生まなかったのか!もし男の子を生んでくれていたら もしかしたら私はマダムの娘になれたのに」と 言ったことを思い出します
マダムは私に会うたびに嬉しそうに「私が男の子を生まなかったせいでミエコはまだ一人か?」って冗談をいってましたそうだよ マダムのせいよ って。。。懐かしい会話です。本当にお姑さんならこの人と思える人でした 3人の娘さんたちが羨ましたかったです。

マダムレネー また次の場所で 絶対に絶対に会いましょうね。そして今度は一緒に生きていきたい。娘として生まれてきたい。フランスの母じゃなく 私の母になりますように祈りつつ。合掌

Mille Joies Planning
Mieko SATO



兄弟は他人の始まり

Bonsoir

コロナの問題でTVが再放送ばかりだったり、放送中断だったり、、、
NHKの大河「麒麟がくる」も 朝ドラ「エール」も 放送が続けられないようです

「麒麟がくる」 といえば、、、まあ この大河 難続きです ご存知 途中まで収録していたのに取り直しになり、、、だれかさんのせいで(たとえどんなに美しかろうが どんなに演技がうまかろうが、(うまいかどうかわかりませんが。)人間として、、、私は返って川口さんになって不幸中の幸いと思ってます 取り直しになって 共演者は大変だったでしょうが、、、NHKもさ~~もっと人選に気をつけろ って言いたいですよね。共演者達。私が代弁しときます
そして このコロナ 第二弾の難。。。 一度あることは二度ある 二度あることは三度ある と昔からいいます。ちょっと心配している 3度目の難。。。これが、、、地震じゃないことを祈ります 焼岳の噴火が心配です。

明智光秀という方 もしかして かなり祟られているのか・・・今回の大河 関係者の中に 難を呼ぶ人がいるのか・・・こんなに撮影、収録、放送が大変な大河って あまり記憶にありません。内容はとても面白いのに残念ですね。

ところで 前回5月10日といい17日といい 心が痛くなりました。 2話とも兄弟が殺し合うシーン。。。昔も今も兄弟姉妹の関係は難しいです。それは親の育て方が問題。この問題は必ずと言っていいほど、親のエゴによるもの。差別して子どもを育てる。斎藤道三にしても 織田信長の生母にしても それゆえ 兄弟が殺し合わないといけなくなったです。人間ですから そりゃ 我が子でも合う合わないもあるでしょう、、、でも それは親が克服しようと努めなくてはいけないもの そこに挑戦するために親になったのに それを忘れてしまうところから不幸が始まるわけです。それが自分には無理だと思ったら 一人だけにしておけばいいのです。兄弟が殺し合うより よほどまし。。。親は子どもを育てる中で成長するのです。成長するということは 困難がつきもの、、、そのために自分と合わない子どもがいるのです。わざわざ 親のためにそうやって生まれてきてくれるのです。その子どもの存在価値を価値としていけるかどうか、、、歴史を学ぶ意味はただ年号を覚えることや 出来事を追うだけではないのです今も昔も何ひとつ 変わらぬ人間のサガのようなところに着眼していくところに 歴史を学ぶ意味があると思うのです

他人であれば そこまで 恨んだり 妬んだりしないだろうに 同じ親であるからこそ そうなるわけです。私も最近よく思いますが、、、血縁ってそんなに大きな意味があるのだろうか、と。日本人はやたらと血縁を大事にする民族ですが、、、身内よりずっと 他人の方が自分を理解してくれる場合も多いような気がします。身内は見ているようで見ていない。わかっていると思い込んでいるけれど 一方からしか見ていないことが多いように思います。
よく 友人たちと話ます。 最後は兄弟姉妹より 本当に仲いい友人の方が大事だと。同じ価値観だから友人なわけですからね。

生んでもらえたこと 育ててもらえたこと すべてにありがとう って歌がありますが、もちろん 子どもの立場ではそうでしょう。親に感謝しない子どもなんていないと私は信じます。それを 要求したり 疑ったりする人がいればその人の心が腐っていると思います。
同時に 親も子どもに対して 生まれてきてくれてありがとう 育てさせてくれてありがとう って気持ちは大事なのではと思います。どちらか だけではないのです。 親は親になったとたん 完璧な人間になるわけではないって こと 歴史からも大いに学べるのではないでしょうか・・・ほんとに 歴史上 死ななくていい人が沢山いたと思います

Mille Joies Planning
Mieko SATO
プロフィール

Mille Joies

Author:Mille Joies
フランス・イタリアの旅の
      コンシェルジュ 

最新記事
リンク
このブログをリンクに追加する
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる