”フランス・イタリア”リピーターの方へ情報を発信するブログ。

Depart 帰国 avec Laguiole

Bonjour

Il a neige aujourd'hui. tres tres froid aussi

さて、、、留学の滞在もあと残りわずかとなり、帰国の日が決まって。仲良くなった友人達が”さよならパーティー”を企画してくれて、、、プレゼントをしたいから何が欲しいか言えっていうので、遠慮なく、Laguioleの折りたたみ式のナイフが欲しいと御願いした。

前回ブログで隣のマダムが私を一緒に自分のご実家のアルビに車でよく連れて行ってくれた話は紹介したが、その車で帰る途中の街にLaguioleがあって 一度 途中下車して この街はナイフで有名だと案内してくれた。そのときみた ナイフの美しかったこと。それが忘れられなくて、プレゼントしてもらうなら それにしようと思った。折りたたみのナイフの柄の部分がいろいろなこだわりがあり、それによってお値段も全然違う。もちろん 切れ味は最高。重厚だし・・・今でもフランスやイタリアに出張に出るときはスーツケースに常備だ。ナイフは重宝する。林檎食べたり、サラミ切ったり、チーズ切ったり全て食べるため。。。だ
そして Laguioleのトレードマークの蝉の彫り物がついていてとても可愛い

ってな訳で”さよならパーティー”は7月のとてもお天気のいい爽やかな風が吹いていた日、、船上レストランだった。結局友達の友達みたいな人もいれたら、、総勢 30人くらいフランス人が私のこの帰国パーティーをいいことに 集まってきて ワイワイガヤガヤと暗くなるまで 食べて飲んで歌って踊って・・・

そして私のプレゼントは すて?きな Laguioleナイフ 予定通り。 でもナイフは「切る」ものだから、友情を切る ということ(迷信だけど)を避けるために、プレゼントしてくれた友人達には1人 1フラン(当時はフランスフラン) ずつお金を渡して(返して) って言われ 1フランを何枚か用意して行ったのも 懐かしい思い出。

そこに私とかなり仲良くしていたフランス人の友人の友達で、ピアニストがピアノを弾いてくれる為にわざわざパーティーに来てくれて 始めて帰国を目前に会った。
そのピアニストから帰国後 素敵な曲が届いたのも懐かしい。電話もよくくれました
なぜに 帰国寸前にしか会えなかったのかぁああ?と・・またまたフランスに残る縁のないことを思い知らされた出来事でもありましたね。

C'est la vie...... ce n'etait pas bon moment de rester en France pour moi.
Le temps est tres important.

Mille Joies Planning
Mieko SATO




隣のマダム

Bonjour tous !

またまた今日は寒くなりましたね、、、この寒さの中 今日は神楽坂でランチしてきました フランスつながりで親しくさせていただいている方と
神楽坂は本当に私は好きな街で、、、山の手の下町とか言ってましたけど確かに
美味しいものたくさんあるし、物価比較的安いし、ちょっと粋だし。

さてさて、、、私の留学体験もそろそろ終わりに。

でもやはりこれは書かないと・・・1人暮らしを始めてアパルトマンに住むようになって
大家さんとは親しくなったことは書きましたけど、、、いつも 可愛く澄ましたプードルを連れていた隣のお洒落なマダムとも親しくなり 
そのマダムのご実家のALBI(素晴らしい街)によく週末は 真っ赤なROVER の車で連れて行ってもらいました 片道ゆうに3時間はかかる道のりを 革張りのシートにまったり。
あまり英国車は好きではなかったけれど、、、でもそのマダムの真っ赤なROVERはとても素敵でした。いつも 年のわか?い BFと一緒にいるのですが・・・何故かご実家に行くときは私を誘ってくれたんですね。ご実家のお母様は私を孫のように大事にしてくれてかなり大きなお家だったので 私専用のお部屋にすて?きなベッドを作ってくれたりと 王女様気分を味わう事ができた貴重な経験でしたね

またそのお宅の目の前はちょっとした草原のようになっていて、春4月には一面に黄色い可憐な野生の花が咲くんです 名前はなんて言ったかな? 金鳳花(きんぽうげ)かな・・・風にゆれているその黄色い花をみていると 本当に幸せな気分になりましたよ? もうあの場所にはきっと2度といけないだろうけれど。今でもはっきりその絵が頭に浮かびます。

夕食は外のテーブルでよく頂きましたねぇええ そのマダムのわか?いBFがすて?きにワインをあけて これがまた いいボルドー 一回間違えて かなり いいワインをあけちゃったみたいで、、、私はテーブルの下でガッツポーツ 間違えてあけてくれて有難う!Merci Monsieur って感じでした。もう開けたものは 飲むしかない! 

なんかその美味しい高価なボルドーの味より 「仕舞った!間違えたっ」って顔が忘れられなくて。。。いい男だったけど かなりチンケなMonsieur だったから、そのワインを間違えて開けちゃった事をしば?らく 悔いてましたよ。(笑えるほど)
なんで あの素敵なお洒落なマダムがこ?んなm(_ _)m  Monsieur といるんだろうっていつも思ってましたねぇえ。ま!人生色々。そんな事もフランスで学んだ一つです

もう一度 あの金鳳花が風に揺れる風景が見れたらな?とふと思ったり。そのお洒落で素敵なマダムは今頃どうしているのだろうか。。。きっともうあのBFとは一緒ではないだろうな、、、そして 真っ赤なROVER も 。。。お洒落で素敵なマダムももう ”アラ還”  Le temps passe vite.


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Mieko SATO



Supermarche スーパーで。

Bonjour

暖かかったり寒かったり、、、これが春到来の前兆でしょうか。三寒四温

さてさて留学体験ももう終わりに近付いてます。
半年をすぎ、7,8ヶ月になった頃でしょうか、、、ホームステイを出て1人暮らしにも慣れ、、、帰国を目前にして、、、生きた仏語をなんとか少しでも身につけなくてはと思い、時間があれば、街のスーパーをウロウロした。

スーパーには Madame(っていうか おばちゃん)がたくさん 買い物に来ているどこの国にも居る、世話好きの気のいいおばちゃん。その上おしゃべりがだ?い好きときている。これを活用しないではいられない。特にフランス人はおしゃべり好き!ちょっと 渡る世間の世界に近い 

1人暮らしで食料買出しもあり、毎日その日の食材を買いに行っていた。美味しいものを安く作りたかったし。そこでスーパーの肉売り場にいるおばちゃんに「Bonjour Madame 今日は何を作るんですか?フランスの家庭料理を私は作れるようになりたいのだけど、、、」って話かける

「Bonjour Mademoiselle あらら お料理するの?いいわよ 今日はポトフにするから、私と同じもの買いなさい」って。それから おばちゃんが延々ポトフをいかに美味しく自分は作れるか 自慢話が始まる(ポトフに作り方なんて あんの?って思いながら、、、) そこの顔見知りのおばちゃんがやってきて、、、ポトフの作り方から全く違う話になり、でもそっちの話の方が数段面白く・・・ゲラゲラ笑っちゃう。(ちょっと内容は披露できませんが・・・)

てな感じで ドンドン街のスーパーのおばちゃん達と顔なじみになり、いろんなフランスの家庭料理を教わった。全くその成果を発揮できる場がいまだに得られてはいないが・・・
お料理だけでなく なんと こういう会話によって 沢山の単語を覚えられたのが何よりも収穫だった。言葉は生きているから、、、使っていないといけない。

今でもあのスーパーで会った愛すべきおばちゃん達に感謝している。それも「無料」で仏語とお料理を教わったのだ、、、Grand Merci Medames


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Mieko SATO




靴の修理やさん

Bonjour

今は丁度花粉症の時期で今年も私は肌荒れに苦しんでおります。
フランスに居た頃は全く 花粉症 とは無縁だったのに これも老化の一つだろうか・・・

さてさて 留学体験の中で印象に残っている出来事の一つに、街の小さな靴の修理やさんの存在がある。私は靴が大好きで、お気に入りの靴は長く履くのを常としている。体の為に靴だけは、安物を買ってはいけないと、なんかの本で読んだこともあって、たくさんは買えないが、いいものを買うようにしている。

フランスを訪れるようになって、私の靴好きも更に拍車をかけた。なんとも素敵な靴がたくさんイタリア製のものは特にいい。。。 靴が素敵なのはもとより、、、
フランスやイタリアは靴に関しては進んだ技術があるのだと聞いてはいたが、まさに職人仕事で素晴らしいものがあった本当に靴が生き返る

私が留学した小さな町にも優れた技術をもっている靴の修理やさんがあって、そこの職人のMonsieur と というより おじちゃんと顔なじみになった。靴やさんも靴を愛している人って分かるみたいで、自然に仲良くなった。大切に大切にしている靴があって、それを修理に出して戻ってきたときの感動は今もなお鮮明に覚えている。

修理してくれたおじちゃんは若いときからこの仕事に打ち込んできた風の方で、人の良さそうな人だった。Sa femme (奥さん)も とても感じのいい おばちゃんで、、、街ですれ違うと必ず声をかけてくれた。。。こんな愚直に自分の仕事に打ち込んで、そんなに高くはない報酬で 生き生きとしている彼らはとても輝いていた。自分の仕事に誇りを持って打ち込める仕事があるって凄い。

時々、ふと 今でもあのおじちゃんとおばちゃんはフランスの小さな街の小さな靴の修理やさんで頑張っているだろうかと思い出す。残念ながら、あの修理のレベルの高さは未だ経済大国日本で私はお目にかかれないでいる。


Bravo Monsieur vous etes vrai artisan


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Mieko SATO

フランスでお見合い?!

Ciao Ciao

フランス留学も数ヶ月経ち、もう仏語にもなれ、フランス人が何を言っているかが大体分かるようになってきたこともあり、色んな人にどんなに私がフランスが好きで 出来たら残って生活したいかって、伝えられる様になってたのもあり、親しくなった大家さんのマダムは、、、なんとかしてあげなきゃって動いてくれた。

私がアパルトマンに引越しして数週間がたった頃、大家さんのマダムから縁談の話があった。紹介したい人がいると 私は30歳になったばかりで、お相手は外科医で35,6歳だったような、、、40歳くらいになってたか。良く覚えていないが 大きなお家にメイドさんと庭師を雇っているようなお金持ちだった 前に日本人の女性とお付合いした事があってとてもいいお嬢さんだったけど、一人娘でフランスには残れないという事で断られたという事をマダムから聞いていた。(ホントに好きなら一人娘でもフランスに嫁に来れるはず。それは呈のいい断りの理由だなってピンときた、、、残念ながらその勘は的中した)

2,3回一緒にお食事しただろうか・・・そう、3回目のお食事の時にはっきりもう会うことはないとお断りしたんだった。 人間的に尊敬できない人とは一緒に生きてはいけない。どんなに生活に困らない財産があったとしても。。。それはそれは 豪華な生活が約束されていたと思う。家の調度品は全てナポレオン3世時代のもの。(おちおち リラックスして座れない椅子) 食器は銀食器。(重くて重くて 紅茶のおかわりするのも大変)庭には常に私の大好きなバラが綺麗に手入れされ、よく躾けられたドーベルマンはいつも凛としてご主人に使えていた。(なんだか、整いすぎた生活。絵にかいたみたいだった)
初めて彼の家に招待されて ティーパーティーをしてくれたとき、帰り際、庭師にいいつけてブーケにしてくれていたバラの花束を私に手渡ししながら、「このが 枯れないうちに また会いましょう」といったあのスマートな2回目のデートのお誘いは、恐らくもう2度と味わえないことだろう もちろんそれはパクリ。オペラ好きの方ならすぐお分かりのはず。。。彼は無類のオペラ好きでしたから。

まだ30歳の私は(もう30歳か・・・) 正義感もまだまだ強くて、まだ理想を抱いていたし、財産より大事なものがあるなんて真剣に思っていて、、、(それは今も変わってないが・・・)
マダムにはもっと大人になって自分のフランスに残りたい という夢を手段を厭わず、実現するぐらいの図々しさがなきゃ、、、甘いわね。って言われた、、、誰と結婚したって数年たてば一緒なんだから、ともマダムに言われたのをはっきりと覚えている。そういう事をいう女性って日本にもいるが、、、、私はきっといくつになってもそういう生き方はできないだろう

私はどんな事をしてもいいから、フランスに残りたい とは思っていなかった。正々堂々と残るなら残りたい。もしそれが出来ないなら、そういう実力をつけてどういう形になるかはわからないが、またフランスに帰ってこようと決意した その彼が拝金主義でなかったなら、女性を子産みの機械と思っていなかったら、、、もしかして私は今頃、フランスでナポレオン3世に囲まれて生活してたのかしら?なんてね

外科医の彼はかねてから依頼のあった、北アフリカの病院にそれからまもなくして旅立ったそうだ 今は懐かしい思い出。Merci Monsieur !!

L'argent ne fait pas le bonheur.....je crois.Mais il est important quand meme....
Comment utiliser?

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Mieko SATO


フランスで1人暮らし

Salut

ホームステイ先のマダムの所を出て1人暮らしを始めた。紹介者の日本人のいう通り、大家さんもいい人でお部屋も凄く綺麗で広い。キッチンと食堂で10畳くらいあり、ベッドルームもまた10畳よりもあったかもしれない。それにシャワーにトイレ。小さなベランダもあっていう事ないアパルトマンだった かなり恵まれた環境で留学後半もまた過ごすことができた。感謝感謝

1人暮らしは生まれてはじめての経験。30歳にして。。。(そうそう、フランスで30歳を迎えたのだ。盛大にフランス人の友人達が、、、お祝いしてくれた)1人がこんな楽しいものかと(このあたりから1人の人生が始まったのかも・・・)、ホームシックどころか、楽しくて楽しくて、、、帰国の事を努めて考えないようにしたくらいだ。

しいて言えば、買い物に行って水をかったり、重いものをもって帰らなくてはいけないときだけが1人暮らしの不便さを感じた。エレベーターのない3階だったので。でもそれも慣れてきて、、、お部屋は常にお掃除して綺麗にし、よく知り合いを呼んでお食事を一緒に食べたりした。私の部屋は通りに面していたため、向いのアパルトマンのマダムと良く顔をあわせた。私がベランダに大好きなバラを育て始め、お水をあげたり、虫がつかないように薬をかけたり。その度にベランダにでて、BonjourMadame と声をかけ 向かいのマダムは 必ず Bonjour ma petite と挨拶を交した。。。

大家さんのマダムとも仲良しになり、毎週末 ディナーは呼んでもらい、マダムとその息子達とその彼女達と一緒にお食事していた。その時に実際 お食事の後のカフェは男性がいれてくれるものだと 大家さんのマダムから教わったマダムは私に、、、「Miekoよく覚えておきなさい。 コーヒーもうまく煎れられないような男とは一緒になっちゃだめよ」とか「男は力がないのは駄目」とか「男は顔じゃない 稼ぎがよくなきゃ」とか もう確かにと思う事もあれば、、、それってマダムの好みじゃない?って思う事も含め。いい勉強をした。そのレクチャーのお陰で 「あれ、これも駄目、あれも駄目 」ってしてきたわけではないので、念のため

息子しか居なかったそのマダムは息子の彼女達もさることながら、私が近くにいたこともあり、よく自分の部屋によんで色んな話をしてくれた。どこにでもいる世話好きな気のいいオバサンだった。。。となれば、、、持ってくる話は ついには縁談。。。
このマダムが私をフランス人と結婚させようと奮闘してくれた話は次回

J'etais tres heureuse pendant mon sejour en France, je ne voulais pas partir au Japon.

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Mieko SATO



マダムと別れる日

Bonjour

Il fait doux aujourd'hui

1992年10月からホームステイで語学学校に行き始めて、マダムとも母娘のような関係になれたにもかかわらず、、、究極の選択をしなくてはいけなくなった
所持金がドンドン減ってきて、、、1日でも長くに滞在し仏語を学ぶ為には、もうそろそろ滞在費が節約できる 1人暮らし を余儀なくさせられたのだ。

確かにホームステイはお食事も2食付いているし、マダムとも話しが出来る、最初は自分の為に1人暮らしではなくホームステイをお勧めする。右も左もわからないし、なんといっても言葉の為には1人でいるのは上達が遅れるからだ。言葉はしゃべらないと上達しない。

渡仏して3ヶ月たった頃、もう帰国を考えている日本の学生とばったりカフェで隣り合わせたもう帰国が間近の彼は今自分が住んでいるアパルトマンがとっても安くて広いし、大家さんもいい人だし、出来たら日本人を紹介してほしいと大家に頼まれたと私に話ししてきた。私はそれまでホームステイを出ることなど考えた事はなかったが、それから帰って計算したら1人暮らしをしたら1ヶ月は滞在が延ばせそうだった。その代わり自炊は必須だが・・・

それでマダムと離れたくないし、ここを出るっていう話をするのは辛いな?と思いつつ、でも嘘ついて出て行くのは私のやり方ではないので。全部正直に話しをした。といってもかなり拙い仏語ではあったが。 マダムはとても私の心を分かってくれて、「いくらならここに残れるのか?」って聞いてくれた。その代わり学校には内緒だといわれた。マダムの気持ちは涙が出るほど嬉しかったでも、それもまた私のやり方ではない。他の人より安くしてもらって置いてもらうのは、はっきりその場で断った。そしたらマダムは何も言わず D'accord と一言。それからは それまで以上に仲良くそこを引き上げるまで過ごせた事は本当に幸せだった

それどころか、マダムは新しく住むアパルトマンにはシーツはあるのか? タオルはあるのか?って心配し、引越しの当日は当分の生活に困らないだけのものを用意し、手作りのたくさんのジャムと一緒に持たせてくれた 

この恩は絶対に仏語をマスターしていつの日かお返ししようとその日、心に決めたのを今でもはっきり覚えている。
私がフランスに関係する仕事について、今マダムと関わっていられるのが何よりも嬉しい


気がつくとフランス語がわかるように!

Bonjour

フランスで学校に行き始め、、、パン一つ買えなかった私が、あるとき、気がつくとマダムの言っている事がわかるようになった。それも突然だぁああ?

それまでは神経集中して 「なんて言ってんの?」って一生懸命聞いてもトンとわからない日々が続いていただけに、その突然にやってきた幸運に興奮した本当に本当に自分におったまげる。だって昨日まで チンプンカンだったフランス語が、、、わかるんだから。

本当に不思議でも語学を学んだ方と話すと皆、そうそう って異口同音に。やっぱそうなんだぁああ だからここに来るまで辛抱強く頑張らねばならぬ途中でやめたらこの感動は味わえない

闇が深ければ深いほど暁は近い・・・か。どっかで読んだ台詞。トンネルはずーとトンネルではない。必ずトンネルを抜ける時がくるのだ。それを信じて自分と戦い続けなければならないか?なり、じみ?な作業をし続けるわけだ。語学は出来るようになると ちょっとまあ 華やか っていうか、胸はれるっているか、、、でもそれは それだけの苦労が陰にある。。。これはやった事のある人しかわからないのだ。っていうほど私の仏語は完璧ではないが・・・

そして、、、ちょっと分かるようになってから、またそのまた上に向かって勉強していくとまた壁にぶつかるそして学び続けると数ヶ月たって またあの幸運が訪れるその繰り返しをしていく中で、ドンドン 外国語のマスターの道に近付く。かなり長い道のりだ。でも外国語にこれでよし という日は来ないと私は思う。 言葉は日々変わるからだ・・・

今でも私は常にNHKのラジオを聴き 努力をし続けるまだまだ 完璧には程遠い。
「もっともっと努力せよ」という お世話になった学校の尊敬する先生の声をどこかで聞きながら

Il faut continuer a etudier jusuqu'au bout !!

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Mieko SATO


Une demi-baguette s'il vous plait

Bonjour    

30歳を目の前に、、、フランスでの勉強を開始した
留学を決めてから 週に一度A学校に数ヶ月通ったものの アルファベットが言えるとか
数字が100まで言えるとか Bonjour Bonsoir Au revoir 程度が出来るとか、、、その程度で渡仏

中央フランスのしっかりした学校にホームステイしながら始めたフランス語
ホームステイは朝食と夕食付き お昼は学校の食堂がある。普段は自分で買い物する必要もない。
最初は学校とホームステイの家を道草一つせず 通って真面目に勉強した
学校でも努めて日本人とは一緒に過ごさず、とにかくフランス人のホームステイ先のマダムか
学校でもフランス語が出来る外国人と過ごすことに専念した。言葉をマスターするには遅い年齢、その上資金が余裕がある訳ではない(自分で貯めたお金には限りがある)、
親のお金で悠々と渡仏し、脳の柔らかい若い人たちと同じ気持ちで遊んだり、していたら ただの アホ
自分に言い聞かせ、学校で勉強し始めてから3ヶ月は寝ずに勉強した というか、せずにはいられなかった。そうでないとついていけない。
エコエコ フランス人の元にホームステイしていた私は 「早く電気をけせぇええ?」と
マダムに叫ばれないように、部屋の電気は消し、ベッドにもぐりこんでライトつけて勉強した。

学校の無い土曜日・日曜日は昼食は自分で食べに行くか、パンを買うか・・・
今は日本でも Demi-baguette を買えるようになった?かどうか わからないが、
フランスは1本のバゲットではなく 半分きった状態のバゲットが普通に買える。
でも 言葉が出来ないものにとって、une demi-baguette s'il vous plait っていうのが
なかなか言えない。次から次へと、お客さんがきて、ドンドン 抜かされて 誰もいなくなるまで待たないとパンが買えず、、、 でも後ろで待たれて 早くしろよって思われるのも辛いし、、、時々 ドンドン抜かされている私をみて、この子が先よ なんて 言ってくれる優しいマダムがいると涙が出そうになったりした。有難いけどでも 皆が聞いているなかで une demi-baguette s'il vous plait って言わなくてはいけないのも かなりのプレッシャーな訳で。 今思うと 恥ずかしいやら懐かしいやら 

その上、、、そのバゲットだけでなくて、あと他にも買いたいパンがあったりしても、それだけを言うのに必死で言い終わって ホッとしていると C'est tout ?? (それで全部?) って大きな声できかれると
もう OUI しか言えず、、、買いたい美味しそうなパンはいつになったら買えるようになるんだろうと 思いながら悔しい気持ちでパン屋を後にした事が今でも懐かしく、鮮明にそのもどかしさが心に残っている。今なら 言葉の問題だけでなく かなり人間が図々しくなったので 何でも買える
それどころか、フランスのパン屋さんで、私のような子をみると、「この子が先よ」って言うことにしている。今は強烈なフランス人にも負けない強烈な日本人になってしまった
当時はまだまだ そんな図々しさがなくて、、、本当にパン一つ買うのが大変だった

本当に悲しかったり、悔しかったり、辛かった事の方が後になるとその思い出は
輝きを放ち、いつまでも忘れられない素晴らしい金の想い出になるという事を実感している。輝く想い出にする為には まずはそこを超えないといけないという事が最低条件ではあるけれど・・・・


Une demi-baguette s'il vous plait

Mille Joies Planning
Mieko SATO


フランスとの出会い 

Bonjour

今日から何回かに分けて 「私とフランス」をご紹介させて
頂きたいと思う。興味の無い方は暫くの間ご勘弁下さいませ

今から遡る事 20年前。いや 1990年だから19年前か・・・
きゃーもうすぐ20年かぁあああ Le temps passe vraiment vite
当時はふつ?のOLをして、4年目?5年目?ってとこ。まさに バブルの真っ只中でいいOL時代
でした。。。
そろそろ、お休みも少し長く依頼する事もできる頃。フランス行きのパンフレット(もちろんツアー)を
休み時間に見ていたら、、、一つ下の後輩が「パリ行くんですか? 自分も行きたい」と。

ま、1人で行くのもなんだし、、、いっか!と思ってその子と1990年11月に初めてフランスの地を
訪れた。。。 その子はどうやら大学で第2外国語が仏語を選択してたので
ちょっと自信もあり みたいで。
私にとっては一石二鳥。ツアーだから、一人参加で追加料金払わなくていいし、言葉も心配いらない。

初めてのヨーロッパ。フランス、、、それまで中国しか行った事なかった私は、おったまげた 私は第二外国語はドイツ語でフランスなんて全く興味なしで生きてきた人間。
見るもの聞くもの全てに衝撃をうけ 最初に思ったことは「なんてフランス語って美しいんだろう」だった。ずーとお店の中でフランス人の話すフランス語に聞き入っていた

そして次の瞬間 「こんな美しい言葉を話せるようになったらどんなに幸せだろう」 と思った。そしてフランス人と会話が出来たら どんなに楽しいだろうとも思った。

そして帰国して、、、決めた。留学しよ っと 当時27歳。
そして会社を円満退職して留学をしたのが29歳の2年後 1992年だった

実際留学となって、、、沢山の友人のなかで心から応援してくれた人はわずか・・・鼻で笑った人も
いた。。。29歳で留学してものになった人なんてそうはいないわよ。なんてささやかれもした。
それもそのはず当時29歳といえば 留学じゃなく 結婚だろうという年齢今とは
少し事情が違う。
もちろんそれを考えてないわけではなかったが、、、留学を選んだ
全くいまもって後悔していないのが何よりの幸せ 後悔どころか もし
あの時行かなかったらその方が人生最大の後悔をしていたと 今は本当に心からそう思う。
そう思えるように今まで戦ってきた。。。

今は自分の人生は何を選択しても責任は自分にあると思う。結婚してもだ。

だからこそ、、、どんなことがあっても人のせいにせず 自分が責任とって
いける道を歩みたいと思う。。。
Non Je ne regrette rien......ピアフの歌が心にしみる

次回はフランス到着編を書きたいと思いま?す。


Mille Joies Planning
Mieko SATO




フランスの労働事情

Bonjour tous !

今日は 今パリから一時帰国している知人とランチをした
パリでの生活やらワーホリで渡仏している人たちのことやら で盛りあがった。

彼女は仏語はかなりお出来になるし、社会経験もあるし、仕事につくのは
そう難しくはないように思える。しかしだ 彼女のようにきちんとディプロムをもってたり
仏語が出来ても そんなに簡単ではないらしい。彼女も就活中。これだけ自分に駒を持っていても
仕事をゲットするのは大変なフランス・パリ

彼女曰く、、仏語が出来なくてワーホリビザだけあれば働けると思ってパリで
ウロウロしている子の多い事。。。本当に驚くと。有得ない
ウロウロしているうちに ドンドン ユーロを使い 稼ぐどころかフランスに
お金を差し上げている   Merci les japonais って聞こえそう

色んな間違った情報が流れ、、、、いまやブログで情報が垂れ流し。正しい情報ならイザ知らず
いけば何とかなる とか なんとかなりました とか それを読んで そのコメントが
どれだけ 信憑性があるものか 誰が保証するのか、また例えそれが真実だとしても
自分が同じ状態におけると どうして思えるのか。
折角 貯金したお金を 適当に過ごした数ヶ月で スッカラカン 仏語も
話せるようになど なるはずもなく、、、それなら 始めから言葉が出来ないのだから
学校にいった方がずっと収穫がある。無駄にお金を捨てずにすむ。

私は毎回 言葉が出来ないのにフランスで働きたい っていう方々に、問いかけます。
貴女が日本で会社の社長さんで、、、日本語話せない外国人を雇って、毎月1000ユーロ
(約150000円)程度のお給料を出しますか?そしてプラス 国には税金を30%?50%
合計20万近く 支払いしますか?と・・・・そんな奇特な社長がいるなら 私はお目にかかりたい

そういう現実をきちんと話さないで 行け行けドンドンで申込みをさせて高額をすぐに
請求して あげくに倒産した大手の会社。私は本当に真剣にフランス行きを考えて
相談に行った方々に対して そういうサービスをする会社に対して憤りを感じずには
いられない


ミルジョワ企画は出来ないことは出来ないとはっきりお話する
出来ない事を出来るといってお金を頂くのはある意味 詐欺ですから・・・行け行け詐欺?

フランスに行きたい 夢を実現させたくて・・・という方々に 
ミルジョワはその為に今は何をしなくてはいけないか。をアドバイスする。
出来る事と出来ない事をはっきりお話する。夢を実現させる為にどの道が最適か・・・
それが できるのはフランス社会に生きている方々と常にコンタクトとっていればこそ

必ず それぞれの人に 最適な道がある。

フランスワーホリの資格は30歳まで。殆どが30歳前後の方が行かれる。
人の親になっていてもいい年齢。自分の夢を実現するためには 死に物狂いの努力が
必要であり それには資金が必要という事が分かる 十分な年齢だ。
競争社会を否定した教育の弊害による精神の幼稚性がそう錯覚させるのか・・・
中々ご理解いただいてない人も。

現実は厳しいのだ。。。ないないづくし(お金もない、仏語力もない)ではフランスで働くと
いう 現実に立ち向かえない。
夢を実現させる為には自分の努力(仏語と資金調達)は不可欠だ。


どうか、、間違ったささやきや 情報に惑わされて 行け行けドンドンで
渡仏せず、きちんと計画をたてて 大切な資金を有効に使って
何かを学んできてもらいたいと思う

自分が 何をしたいのか、何が出来るのか、
「したい事」と「できる事」が同じとは限らない。
いかに「したい事」に近づけるかは 本人の努力以外にない。

Bon courage !  Avec grands efforts tout est possible

Mille Joies Plannning
Mieko SATO


















素敵なパン屋さんのお兄さん

Salut

先日私の大好きなパン屋さんでの出来事。
新宿の小田急デパートの地下にある Trois Gros のパン。
いつ行っても沢山の人で賑わっていて、その日も
パンを取るのも大変なくらい。

男性の若い従業員の人達がパンの工房からパンを運んで陳列したりしていた

その中で1人 とてもきびきびと仕事をしている若い男性(30歳前後でしょうか、、、)が
目に止まった 何人か働いている男性従業員の中で 1人だけ
廻りを見ながら お客様が何をしてほしいと思っているかを察知して動いている人がいた
すぐに パンの陳列を途中で中断して 一つ閉じているレジに向かった。
沢山 お客様がいたけれど、、、パンを選んでいるお客様より レジで会計をしたいお客様の
方が多かった。 そんなとき パンを陳列している場合じゃない! 今は会計を手伝おうと
判断しての行動だった。見ていてとても気持ちよかった
他の人は言われたことをモクモクとしていた。(パンの陳列) それはそれで真面目にしてたし、、、
悪い印象はないけれど。。。

なぜ 行動に違いが出るかといえば 言われた仕事だけをこなせばいいという姿勢と
自分のお店のパンに誇りをもって そのパンの良さを理解して来てくれるお客様を
大切にしようとする姿勢か によるのではないだろうか。どんな仕事も同じだ。
表面的にはパンを陳列するというお仕事は誰がしても同じだと思えるかもしれないけれど、
目には見えない部分が いざ となると行動にでるのだな?と思いながら
彼の働きぶりを眺めながらそこのパン屋さんを後にした。

どんな仕事も自分が責任をとっていく、「自分」 が主体であれば 言われたことだけに
とどまらないはずだ。
ワーホリでフランスに行かれてもそういう姿勢で働いてくれる方々が増えると
嬉しいものです。仏語は確かに大事だし、最低限の仏語が話せなければ
働く事は不可能だけど、その前に大事なのは「姿勢」だと 痛感させられた。

数年前にフランスのお仕事を提供した人の話。彼は殆ど仏語は出来なかったが
とにかく「姿勢」がきちんとして 自分の立場をきちんと理解していた
それで私は自分のコネクションを最大に使ってチャンスを提供した。
フランス人はそれをきちんと評価し、半年という契約で渡仏した彼はその後1年以上も滞在を
延ばすことができた全ては「自分の姿勢」 ミルジョワはその機会をチャンスを
提供はするけれど、その後は自分次第でどうにでも道を開く事ができるという事が
証明された彼の渡仏だった。

言葉もできず、「姿勢」もなってない人は世界のどこへ行っても道を開く事は難しいでしょうね。
たま?に そういう方にお目にかかりますがね。 Quel dommage
そういう人に限って 態度大きくて、こっちが恥ずかしくなるような行動とったり 言動したり
Il faut regarder bien soi-meme!!


Merci toujours

Mille Joies Planning
Mieko SATO







今年は寒いヨーロッパ

Bonjour bonjour !!

さてさて 今日は立春 春ももうすぐ!
敏感な方はもう 花粉に悩まされ始めているとか・・・
お気の毒ですね。お見舞い申し上げます。
日本ではこの季節 沢山のマスク姿の方々を見かけます。
これは外国人にとってはとっても面白い光景のようで。
南仏にいる友人は花粉症なのにマスクできなくてって嘆いてました。Pauvre!
変な目で見られるのはいやですからねぇええ

それにしても、、、今年のヨーロッパは寒いみたいですね。
昨日はロンドンは大雪で空港が閉鎖されたとか・・・パリは大丈夫でしたけど。
イタリアも降ってたみたいだし、、、

でもでも、、、寒いければ寒い冬ほど その年の春が待ち遠しく、また素晴らしいこと
言うまでもありません。冬は必ず春となる ですね。。。
確実に春がくるのですから!どんなに寒い冬だとしても。
2009年は経済不況で100年に一度の危機とかいわれ まさしく極寒の冬のような
ものだとは思いますが、その寒さもずーと 続くはずもなく、、、必ず春となるのですから
下を向いて じ?と しているのではなく、春になったら
飛び出せるように、、、ウォーミングアップくらいはしておきたいものですね。

先日は南仏の友人がこの夏7月に一緒に観覧するオペラの為に電話してくれました。
さすが! フランス人 ヴァカンスの予定だけは 早い!半年以上先のこと。
私がリクエストした、演目はもう完売。第2候補が取れたのでよかったですが
それも余裕ではなく、、、何十回も電話して(電話予約のみ) 何十分も待たされて
漸く取れたのだそうです。。。
これで屋外でオペラを今年の夏は楽しめる。Merci Monsieur
ヨーロッパの夏は暗くなるのが遅い。少しずつ闇の中に引きこまれるような空のもと
古代ローマを偲びながら 素敵なオペラを堪能したいと思っている。

日本の皆さんも ヴァカンスの準備をそろそろ 始めましょう!寒い冬はもうそろそろ
終わりを告げますよ。

C'est tres bientot le printemps

Mille Joies Planning
Mieko SATO




テーブルウエア

Bonjour

今日は節分でしたね。豆まきはされたでしょうか・・・
今日は後楽園のドームで行われている テーブルウエア・フェスティバルに
アシスタントの方と行って来ました
ミルジョワ企画は昨年からテーブルマナーのツアーを企画してますから
テーブルウエア・フェスティバルはとてもいい勉強になりました
2009年は昨年のテーブルマナーのツアーとは 少し嗜好を変えて
テーブルマナーとお料理とテーブルフラワーと3つを一回の研修で
学べる企画としています。7月20日21日の2日間の短期集中講座です

今日のフェスティバルでは やはりの食器を
中心に見たり、テーブルセッティングを見たり、、、
Okura.jpg



フランスのクリストフはあまりにも有名ですけど、ドームでも出品されてました
それから ERCUIS も PUIFORCAT も出品されてました


まだ2月8日まで開催中ですから 是非お出かけ下さい

Bon Le Festival d'art de la table !!

Mille Joies Planning
Mieko SATO






うるさいフランス人

Bonsoir

Il fait du vent cette nuit

凄い風ですね、、、昨日、今日と・・・関東の話ではありますが。
先ほど自宅の塀においていた植木鉢が落ちて割れる音がしました

音といえば、、、フランス人は比較的音にうるさいですね、日本人と比べると。
音だけじゃないですね、、、うるさいのは。
例えば23時を過ぎたら 水洗トイレの水は流すなとか 
階段は静かに降りろとか、、、  毎日髪の毛は洗うな とか・・・etc......
私も十数年前 フランス人家庭にホームステイして仏語を学んでましたから
何度となく 注意されたものです 髪の毛は毎日洗ってましたけど
もちろん聞かれたら 1日おきにしか洗ってませんって答えてました

私の場合は水もよく流しっぱなしとか(歯を磨くときとか) 今は エコライフ的にも
駄目だしされますが・・・ 習慣とは恐ろしいもので 中々直せなくて困ったものです。
電気も消し忘れとか、、、兎に角 良くマダムに怒られました。いかに日本では注意されずに
いたか、、、というより それが普通で、ともすると 家族のものの方がもっと浪費していた気が
します

数々のそういった フランス人のうるささ(ではなく エコとしておこう)
には大抵は合わせられたけれど、、、
やはり どうしても受け入れられなかったのが、トイレを流すな!ってことでした。
いくらなんでも、そんな水を流したくらいの音で寝ている方が起きてしまうとは
思えない。それに流さずにはいられないときもある
私のスタッフで長年一緒にお手伝いをしてくれているフランス人スタッフも
一緒にフランスに仕事で行くと 夜は私に気を使って 夜中から朝方までの
トイレの使用時は 水を流さないのです。 しかし・・・
そんな音くらいで 私は起きやしない  でもこれもきっと彼女にとっては
習慣になっているのだろう、、、気にしないで って言っても
気にしてくれている   Merci ton gentillesse

トイレの電気も時間がくると プチっと切れるトイレ経験をされた人もいるかもしれないですね。
まだ よくフランスの暮らしを知らなかったときは トイレの中で突然 真っ暗になった
時は ほんと どうしようかと思いましたよぉおお

とにかくフランスは昔から徹底したエコライフ(としておこう)
でも確かに エネルギーは無限ではないので、大切なことだと思いますよ?

帰国して数ヶ月はケチケチ いやいや エコエコフランス人のように 電気を消して
歩いていたり、ティッシュは一度で捨てないようにしたり、
していた私も すぐに日本の暮らしにまた慣れてしまいました。
本当に地球の為に これからはエコライフを考えなくてはいけないですね。
うるさいと思っていたフランス人は正しかった

Merci bien.....

Mille Joies Planning
Mieko SATO









プロフィール

Mille Joies

Author:Mille Joies
フランス・イタリアの旅の
      コンシェルジュ 

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